藤川大祐 授業づくりと教育研究のページ

藤川大祐のブログです。千葉大学教育学部教授(教育方法学、授業実践開発)。プロフィールは「このブログについて」をご覧ください。

取手市いじめ問題専門委員会委員長退任にあたって

今年3月31日の任期満了をもって、取手市いじめ問題専門委員会の委員長並びに委員を退任させていただくことになりました。退任にあたって、これまでのことなどをブログに書いておこうと思います。

 

取手市いじめ問題専門委員会は、2018年4月1日に施行された「取手市みんなでいじめをなくすための条例」(この条例の名前には今でも違和感がありますが、そのことは置いておきましょう)第19条に基づいて設けられた取手市教委の附属機関で、いじめ防止等に関する調査研究や重大事態の調査等を担う組織です。委員の任期は2年(再任可)で、私はこの組織の発足当初から2期2年委員並びに委員長を務めました。

 

www3.schoolweb.ne.jp

 

取手市では、2015年11月11日に、市立中学校に通う生徒が自ら命を絶つ痛ましい事件がありました。ご遺族はこのことの背景にいじめがあったことを訴えておられたのですが、市教委は当初、重大事態であることを市教委の会議でわざわざ否決するなど、ご遺族のお考えに寄り添うことも、法令に従った対応をとることもしませんでした。市教委の対応は強い批判を浴び、結局、2017年11月、本来は取手市において行われるはずの事実関係を明確にするための調査が茨城県に委託されることとなりました。その後、2017年12月に、取手市いじめ問題専門委員会の前身である取手市いじめ問題調査委員会が設置され、私は委員並びに委員長を務めさせていただくこととなりました。

 

重大事態の調査のうち、事実関係を明確にするための調査は茨城県に委ねられましたが、その後に事実関係を踏まえて再発防止策を策定する役割は取手市教委が担うこととなっており、取手市いじめ問題専門委員会は再発防止策を検討して取手市教委に提言を行う役割を任せられていました。

 

2017年12月当時、私は流山市いじめ対策調査会の会長を務めており、流山市教委が法令に則った重大事態対応をしない状況の中で苦慮していたのですが(詳しくは過去のブログ記事をご参照ください)、取手市教委の職員の方々の雰囲気が流山市教委とほぼ同じように感じられました。市教委が法令違反の対応をし、被害者側に深刻な苦痛を与えているということについて、法令違反がなぜ起きたのかについての真摯な説明もなく、どこか他人事のような雰囲気で話す方が多い印象を受けました。

 

ただ、取手市教委の方々には、なんとか状況を変えたいという真剣な思いをもつ方が多かったようです。その後、議論を重ねる中で、どうしたら児童生徒に寄り添った対応ができるのかについて、大変なことでもなんとか実現したいとわかることが何度もありました。

 

2019年3月、茨城県が設置した調査委員会から事実関係についての報告書が出され、私たちは直接調査委員会の委員長・副委員長から説明をいただく機会を得ました。そして、取手市いじめ問題専門委員会において議論を重ね、弁護士の鬼澤秀昌委員が中心となって再発防止策をまとめていただき、バブリックコメントの募集を経て、2020年1月18日に、再発防止策の提言を市教委に提出し、記者会見も行いました。市教委はこれを受けて中学校における全員担任制と小学校におけるチーム指導、教育相談部会システムの導入、2学期制の導入の三つを柱とする再発防止策を進めています。各報告書や取手市教委の取り組みは、以下にまとめられています。

 

www3.schoolweb.ne.jp

 

再発防止策の本格実施の時期はコロナ禍の長期休校と重なってしまいましたが、この2年間、報告をいただいている中から読み取れる限りではありますが、市教委と学校の方々とが真摯に再発防止策を進め、児童生徒の苦痛を見つけ、児童生徒に寄り添って対応するということを、徹底しようとしていることがうかがわれます。もちろん、いじめがなくなるわけではないでしょうが、いじめが起きても、学校や市教委が法令に従ってしっかりと対応してくれるであろうとは考えられます。

 

今後、取り組みが形骸化してうまく機能しなくなってしまうことがないようにしなければなりませんし、私も立場が変わっても取手市には注目し続けていきたいと考えていますが、基本的には、今後の市教委の担当の方や取手市いじめ問題専門委員会の新しい委員の方々にお願いしたいと思います。

 

関係者がどれだけ力を尽くしても、亡くなった生徒さんが戻ってくるわけではありません。当時の関係者への懲戒処分等はなされてきましたが、それで問題がすべて清算されるわけではないでしょう。そうしたことを忘れることなく、私を含め、この問題に関わってきた者たちが、今後もまたそれぞれの立場でできることをやっていかなければならないと思っています。

熊本市教育長の遠藤洋路さんの新刊『みんなの「今」を幸せにする学校』を勝手に推薦します

発売されたばかりの遠藤洋路『みんなの「今」を幸せにする学校』時事通信社)が届いたので、一気に読みました。

 

遠藤さんは、熊本市教育長。元官僚で、若くして退職されて会社を起こし、そして熊本市教育長に就任された方であることをこの本で初めて知りました。これまで関わらせていただく機会はなく、遠藤さんのことはほとんど知りませんでした。

 

しかし、この本を読んで、「そうなんだよな」「なるほど、そういう手があったか」などと、うなずくところばかりでした。これまで遠藤さんのお話を聞く機会がなかったことが残念だとさえ思いました。

 

OECDが掲げるウェルビーイングやエージェンシーの受け取り方も、学校が民主主義の担い手を育てる場所であり今は世界的に見れば民主主義の危機にあるという問題意識も、ICTの普及を教員→特別支援教育→全児童生徒の順で進めるという考え方も、働き方改革において教員が子どもと向き合わない時間も大切だということも、教育委員会と教職員との間に一定の緊張関係が必要だということも、すべて納得です。私自身、ここ数年、こうしたことがらに関心を持って、いじめ問題への対応、学校運営、教育行政等に関わってきました。私なりにいろいろな文章を書いてきましたし、研究的に取り組んできたこともあります。しかし、遠藤さんほどに具体的なアクションにできてはいなかったなと思わされました。

 

先日、熊本日日新聞の取材を受け、熊本市が、不登校の統計といじめの統計との間のギャップを埋めるべく、不登校の理由としていじめが挙げられているものの確認を進めようとしているという話を知りました。このことも、本の中に詳しく書かれていました。パンドラの箱を開けてでもいじめによる不登校を正確に把握したいという姿勢に強く共感します。

 

ということで、遠藤洋路『みんなの「今」を幸せにする学校』時事通信社)をここに勝手に推薦させていただきます。今の学校教育に関心をお持ちの方はぜひ読んでいただきたいですし、全国の教育委員会や学校がこの本を参考にして自分たちには何ができるかを考えてほしいと願います。

「オタク力」から見る、汎用的能力ばかりを追うキャリア教育への疑問

昨日3月31日、千葉大学教育学部授業実践開発研究室(藤川研究室)の研究紀要『授業実践開発研究』第15巻が完成し、インターネット上で公開となりました。千葉大学附属図書館のリポジトリへの掲載や冊子の印刷は少し先となりますが、現在は研究室論文集サイトに全論文が掲載されています。ぜひお読みください。

 

ace-npo.org

 

私は、「オタク力」研究グループの方々と連名で、「キャリア関連能力と『オタク力』との関係」という論文を執筆しました。

 

https://ace-npo.org/fujikawa-lab/file/pdf/bulletin/2022/fujikawa.pdf

 

この論文は、先日の日本教育工学会全国大会で発表した内容を論文化したものです。

 

現在進められているキャリア教育では、「基礎的・汎用的能力」が強調されています。しかし、このように誰でも共通に身につけられる力をつけさせることがキャリア教育だとすると、自分が好きなことを大切にし、たまたま出会ったものとの関係を大切にするようなキャリア形成が否定されかねません。言い換えれば、「オタク力」を大切にする立場からは、「基礎的・汎用的能力」の強調は危険だということです。

 

また、「キャラクター・ストレングス」、「ライフキャリア・レジリエンス」、「透過性調整力」、「進路選択自己効力感」といったキャリア関連能力と「オタク力」の関係についても検討しました。

 

「オタク力」については、千葉大学教育学部研究紀要に「『オタク』の意味論的検討」という論文を発表したばかりでもあります。あわせてお読みいただければ幸いです。

オタク力と越境学習を結びつけてみる

「オタク力」に関する論文を掲載したばかりですが、本日先ほどまで、「オタク力」研究チームのオンライン・ミーティングがありました。だいたい月に1回、チームでのミーティングを行っています。

 

今日のミーティングで見舘好隆先生から教えていただいた石山恒貴・伊達洋駆『越境学習入門』の話を「オタク力」と結びつけて考えることが、面白いと思っています。

 

先日の日本教育工学会で「オタク力」関連の発表したときにも議論になったのですが、個人として何かが好きで「オタク」でいる状態と、「オタク」として他者と関わっている状態とでは、「オタク」であることによって得られる能力は違うと考えられます。「オタク」として他者と関わることで、「オタク」であることがアイデンティティにつながり、好きなことについて思い切り表現してみたり、自らとは違う見方に出会って「オタク」としての未熟さを自覚したりするということがあるのではないでしょうか。

 

『越境学習入門』には、「越境学習者は二度死ぬ」という話があります。「越境」中にも葛藤状態になるだけでなく、「越境」から戻った後にも元の場所が以前とは違って見えて葛藤するというのです。

 

「オタク」として他者と関わるというのは、この意味で「越境」するということなのかなと思います。「オタク」であることを通して新たな場所で新たな人たちと出会った後、「オタク」であることを出さずに過ごしていた元の場所との関係は変わり、元の場所でどうするか葛藤することになりえます。そうした葛藤の経験で、自分と社会との折り合いをどのようにつけていくのかが見え、自分なりのやり方で社会に貢献する道を見つけることができるということなのかもしれません。

 

授業づくりの研究者としては、たとえば中学校の数学の授業でオタク的越境みたいなことが起きるような仕掛けをして、生徒が数学の授業に没入するような状況を作れたら面白いのだろうと考えたりします。

「ウクライナ危機 児童生徒と対話する際の8つのポイント」を書きました

先日、教育新聞の連載で、「ウクライナ危機 児童生徒と対話する際の8つのポイント」という文章を書かせていただきました。

 

www.kyobun.co.jp

 

ウクライナへのロシアによる侵攻について、日本にいて教育で何ができるかというと大変心許ないのですが、児童生徒はこの問題に大いに関心をもっていると思います。また、ウクライナの人々の状況を我が事のように捉えて、不安や恐怖を抱えている場合もあると思います。現在進行中の問題について、学校の授業で取り上げるというのはなかなかハードルが高いと思われますが、朝の会等のちょっとした時間に話題にすることはできるだろうと思い、私なりに調べたり考えたりした上で、ヒントになりそうなことを書かせていただきました。

 

「8つのポイント」というのは、以下の8項目です。

 

  • 不安・恐怖について
  • 安全や平和の大切さ
  • 基本的な地理・歴史
  • 産業・エネルギー
  • 国際組織・国際法
  • 民族
  • 自由と民主主義
  • 戦時プロパガンダ

 

学年段階によって話す内容は違ってくると思うのですが、たとえば、ウクライナから日本への輸入品で圧倒的に多いのはタバコなんだというような話題であれば、比較的幼い子どもも、なんでだろうと思うかもしれません。

 

具体的には、記事をお読みいただければ幸いです。春休み明けの話題に使っていただけたらと思っています。

 

ウクライナ危機に関しては、これからも私なりに関心を持って考えていきたいと思っています。

 

論文「『オタク』概念の意味論的検討」を暫定公開します

このほど冊子ができた千葉大学教育学部研究紀要第70巻に、藤川大祐・渡邉文枝・見舘好隆・小野憲史「『オタク』概念の意味論的検討」が掲載されました。

 


いずれ千葉大学図書館のリポジトリに掲載されるはずなのですが、まだ掲載されいていないようですので、紙バージョンをスキャンしたものをここで公開させていただきます。お読みいただければ幸いです。

 

「オタク」概念の意味論的検討

 

この論文は、私たち研究グループで進めている「オタク力」に関する研究の一環として執筆したものです。「オタク」がもつ力を活かそうとするためには、「オタク」という語の独特の意味合いを踏まえておく必要があると考え、もともとは相手の家を敬って示す語であった「オタク」が、換喩や「待遇性の水準低下」といった変化を経て、自嘲語となっていった経緯をたどり、自嘲語ゆえに「オタク」を自称する人にこの語が力を与えうることを論じました。こうした議論が、「オタク」を自認することが本人や周囲の人へのエンパワーメントにつながるヒントを与えてくれるものと考えています。

 

私たちなりの問題提起ですので、ご意見等いただけたらうれしいです。

 

「アンダーライブ」の逆説的な可能性

乃木坂46というグループは40名前後のメンバーがいて、うち20名程度が「選抜メンバー」、残りが「アンダーメンバー」となっています(入ったばかりのメンバーはどちらにも入らなかったりします)。以下、敬称略で。

 

2012年のデビューからしばらく、アンダーメンバーはあまり出番がありませんでした。2014年にアンダーライブが始まってから徐々に状況が変わってきます。最初は「全国握手会」というイベントの後に行われたアンダーメンバーだけのライブ「アンダーライブ」はあまりお客さんも入らず、それでも、当時アンダーだった星野みなみは、「目指せ!武道館」と言っていました。

 

2014年10月、今はなき六本木ブルーシアターで全18公演行われた「セカンドシーズン」から、状況が変わります。このときのアンダー楽曲「あの日僕は咄嗟に嘘をついた」でセンターを務めた井上小百合が膝を負傷してサポーターをしながらの熱演で、前作でセンターを務めた伊藤万理華や後に選抜センターを何度も務めることになる齋藤飛鳥らとともに熱いステージを務めました。

 

その後、アンダーライブは大きい会場でも行われるようになり、2015年12月には星野みなみの発言どおり、日本武道館での開催となります。そして、名古屋、東北シリーズ、中国シリーズの公演を経て、2016年12月の日本武道館での公演ではセンター寺田蘭世が「1+1が2なんて誰が決めたんだ、って話なんですよ(略)人生はそういうもので計ってほしくないんです! だから私は、1+1は、100にしたいと思います!」という炎のスピーチをするなど、熱いライブが続きました。

 

そして、今年3月25日〜27日の3日間、横浜のぴあアリーナMMで行われたアンダーライブ。いつの間にか、1期生は和田まあや、2期生は山崎怜奈とそれぞれ1名のみになり、センターの3期生佐藤楓をはじめ、3期生・4期生中心のメンバーでのライブとなりました。

 

乃木坂46は5期生が入ったものの、新曲センターを務める中西アルノを含めた2名が活動中止中で、ファンの反発も影響したのかCD売り上げも落ち込んでいます。そうした中、選抜メンバーは固定気味で、アンダーメンバにはなかなか光が見えない状況だったのではないかと思われます。しかし、以下の記事にあるように、今回のアンダーライブは大変盛り上がりました。

 

www.oricon.co.jp

 

このライブの盛り上がりには、いくつかの要因があったと思います。

 

第一に、1期生・2期生が目に見えて少なくなって、3期生・4期生が自分たちで頑張らなければならないと思える状況になったこと。第二に、4期生は前回のアンダーライブが初参加で、今回は2回目となりもう初参加ではなくなっていたこと。第三に、アンダーのセンターが佐藤楓、その両脇が金川沙耶と弓木奈央と、個別には活躍していたものの、乃木坂46では全面に出ることが少なかったメンバーで、彼女たちの力がよい形で発揮されたこと。…というように、いろいろなポイントを挙げることができたと思います。

 

ライブの演出も素晴らしいものでした。セットは特になくセンターステージ等もないシンプルな舞台構成でありながら、照明を効果的に使い、メンバーのパフォーマンスが映えるようになっていたこと。16名のメンバーそれぞれの物語を尊重した演出がなされていたこと。一人ひとりの歌声がしっかり届いていたこと。4期生がテレビ番組「乃木坂スター誕生!」で昭和・平成のヒット曲を歌ってきたことで歌唱力が鍛えられた成果も感じられました。また、コロナ禍でのライブでは配布されることの多かったスティックバルーンが配布されず、ペンライトや拍手のみで観客が応援する状況となり、ペンライトの色や動きの統一感や拍手で盛り上げることになったのも、よかったと思います。

 

それにしても、ここまで熱いアンダーライブは何年かぶりではなかったでしょうか。逆説的ですが、乃木坂46全体もアンダーメンバーたちも今非常に厳しい状況にあるからこそ、迫力あるライブができて、観客に伝わり、相乗効果が生じたのではないかと思います。最終日のアンコールで、和田まあやが自分が責任を取るからと言ってアカペラで予定外の歌唱を披露したことが、相乗効果の結果だったと思います。

 

乃木坂46はもう終わったと思われても仕方がない状況にあるのかもしれません。でも、そうした厳しい状況でこのように熱いライブができてしまうところが、面白いところだろうと思います。和田まあやが言った、アンダーライブを東京ドームでという話が、決して夢ではないと思えます。

 

そもそも乃木坂46は、絶頂にあったAKB48の「公式ライバル」という無茶な状況から始まったグループです。厳しい状況でこそその真骨頂を発揮してくれるところが、このグループの面白いところではないでしょうか。ピンチだから輝けるというのは、とても素晴らしいことだと思います。