藤川大祐 授業づくりと教育研究のページ

藤川大祐のブログです。千葉大学教育学部教授(教育方法学、授業実践開発)。プロフィールは「このブログについて」をご覧ください。

学校での生成AI活用について、今、考えていること

ブログに投稿することが久しぶりになってしまいました。この1年近く、文部科学省の「学校DX戦略アドバイザー」に任命いただいたこともあり、学校での生成AI活用について関わる機会が多くなり、このところ講演の機会が何度かあったので、現時点で考えていることを少し書いておきたいと思います。

 

まずは最新の講演資料を下に公開しておきます。

 

www.dropbox.com

 

この講演資料は、2024年2月14日に超教育協会のオンラインシンポジウムでお話しさせていただいた際の資料です。

 

lot.or.jp

 

現時点で、私が強調したいと考えている点は、以下の3点です。

 

第一に、生成AIとはどのようなものなのか、言葉の意味を確認することです。生成AIの場合には、「生成AI」という言葉よりも「GPT」、すなわち Genarative Pre-trained Transformer という言葉の意味を確認することが大切だと考えます。Generative(生成的な)という部分がどうしても注目されますが、私はむしろ Pre-trained(あらかじめ訓練された)とTransformer(変換するもの)という二つの語に注目したいと思います。

 

講演資料より


Pre-trained(あらかじめ訓練された)については、自然言語を大量に学んでいることに加え、間違った情報(まだある程度はありますが)や差別的・攻撃的な表現がかなり避けられるようにチューニングされていることが大きいと考えます。このため、ChatGPT等の生成AIは、バランスの取れた平均値のような回答をすることがかなりの程度、可能となります。この特性を踏まえておくことが、活用において重要です。

 

Transformer は、GPTのベースとなったGoogle開発の大規模言語モデルに付けられた名称です。この言葉の原義は「変換するもの」あるいは「形を変えるもの」です。Transformer は、自然言語を多次元ベクトルの数値的表現に変換し、そうした数値的表現で処理された結果を自然言語へとまた変換するものです。Transformer 内部では、似た意味を持つ自然言語が近い数値で表現されていて、その数値が処理されていると、想像することができます。生成AIを完全なブラックボックスとして見るのでなく、大まかにでもどのような処理をするものかという想像をしておくことが、教育場面での活用においては重要であるように思います。

 

第二に、「AIと人間との協働」という観点から、生成AIの活用を考えることが重要だと考えています。資料の中でも、藤井聡太さんの将棋、YOASOBIの音楽、大谷翔平選手のピッチングやバッティングについて、触れさせていただいています。

 

講演資料より

 

藤井聡太さんは、AIを活用し従来の将棋の常識とは違う戦い方を研究し、そうした戦い方を実戦で使えるようにしました。YOASOBIは、ボーカロイドに歌わせていたような楽曲を、人間であるikuraさんが歌うことで従来にない音楽を作っています。大谷翔平選手は、NHKスペシャル(下記)で報じられたように、コンピュータを使ってピッチングフォームやバッティングフォームの新たな可能性を研究し、新しいフォームをトレーニングすることで、大きく曲がる変化球「スイーパー」を投げたり(このことが負傷につながった可能性はありますが)、アッパースイングを基本にしても高めの球をホームランできるようになったりしました。

 

www.nhk.jp

 

このようにハイレベルな話でなくても、自分が苦手だけれども学びたいことを学ぶのに、生成AIは大きな可能性を導いてくれます。試みに、ChatGPT(無料で使えるGPT 3.5)で高校数学の微分をどのように学べるかやってみたのですが、次のようにすることでかなりのことができそうだということがわかりました。

 

  • 私は高校生で、数学が苦手です。微分がわからないので、微分をゼロから学ぶ方法を教えてください」と頼むと、基本概念の理解、微分の定義を学ぶ、微分の基本ルールを学ぶ、微分の計算例を解く、微分の応用を学ぶ、問題を解く、継続的な学習と実践といった方法で学べると教えてくれる。
  • 微分の基本概念について詳しく教えてください」と頼むと、詳しい解説をしてくれる。
  • そもそもなぜ微分を学ぶ必要があるのですか」と頼むと、関数の挙動の理解、自然理解や社会現象のモデリング、科学や工学の応用、応用数学への基盤といった意味があることを教えてくれる。
  • 歴史的には誰がいつ、微分ということを考えたのですか」と頼むと、アルキメデスニュートンライプニッツといった人が微分に関して行ったことを説明してくれる。
  • 微分は、世界中のどこの国でも同じように教えられているのですか?」と問うと、微分の原理は世界中で共通していて、どの国でも基本的には同様に教えられているが、教育方法やカリキュラムは違うかもしれない、と説明してくれる。
  • 微分の基本概念の理解を試すようなテストをしてください」と頼むと、練習問題をとりあえず5問出してくれる。

 

このように、疑問に思ったことを片っ端から質問し、習熟に必要な練習問題を解くといったことを、重ねていくことが可能です。高校までの教育内容や大学での一般教養程度のことであれば、このような形で、一人でハイスピードでの学習を進めることが可能ではないでしょうか。生成AIには言語や国の壁も基本的にはないので、他の国では同じようなことがどのように教えられているかを尋ねることも容易です。従来の学習環境では、教師に質問する機会は限られていたでしょうし、教師に答えられない質問には答えが得られないままとなりがちでした。しかし、生成AIを使えば、24時間いつでも、「そもそもなぜ?」とか「歴史的には?」とか「他の国では?」といったことまで含め、思いつく質問に対して瞬時にある程度の回答を得ることが可能です。このようにして、学習という営みをAIとの協働で行うことが可能であり、従来の学校ではできなかった学び方が可能になることが想像されます。

 

ただ、「AIと人間との協働」について、しっくり来る概念が今のところないのかなとも思っています。資料にもいくつか関連しそうな概念を書きましたが、ここで言いたいことにちょうど当てはまる概念はないように思います。

 

第三に、生成AIの活用には、鋭く質問することがかなり重要になるということがあります。プロンプトエンジニアリングということとも通じると思いますが、決して1回の入力で凝った回答を得るための技術ということでなく、粘り強く質問を重ねて、疑問を解決できるようにすることが重要だと考えています。

 

講演資料より

 

私は長く、教師の発問やディベート教育に関わってきており、質問の技術についてはいろいろな場面で扱ってきたつもりです。人間相手の質問では、相手に対する丁寧さが重要になりますが、生成AI相手であれば丁寧さをあまり考える必要はないので、ともかく根掘り葉掘り質問するということでいいのかなと考えています。

 

とはいえ、講演資料でも書いたように、いくつかポイントはあるのかなとも思います。生成AIにしつこく質問することで、こうした質問のスキルが身につけられると思いますし、そこに一定の丁寧さを加えれば、人間相手にも話を深める質問をすることができるようになることと思います。

 

日本社会では時として、「質問をするのは失礼」とされることがあります。あからさまに問うのでなく、察することが大切なのだと考えられることもあるように思います。授業や講演でも、なかなか質問が出ない場合があります。おかしな質問をして恥ずかしい思いをするくらいなら質問はしないほうがよい、と考えられることが多いのかもしれません。しかし、こうしたやり方を変えなければ、察したつもりで相手の考えを聞かないというようなことが繰り返され、結果的に権利侵害が横行することが続いてしまいます。生成AI活用が、質問するスキルを高める契機になるといいなと期待しています。

教員の働き方改革を確実に進めるために何が必要か?

教員の働き方をめぐる議論がいろいろと聞こえてきます。私は3月まで附属中学校の立場で、中学校の教職員とともに働き方改革に取り組んできました。そうした経験も踏まえ、働き方改革を確実に進めるには何が必要か、考えを書かせていただきます。

 

まず多くの方に知っていただきたいのは、残業手当を出さない代わりに4%相当の教職調整額を給与に上乗せする給特法の規定は、公立学校にしか適用されないということです。すなわち、私立・国立の学校では、残業が生じればそれに応じた残業手当を支給することが必要です。といっても、少し前までは、この辺りが曖昧でした。国立について言えば、法人化以前には給特法が適用されていたということもあり、公立学校と同様に4%相当を給与に上乗せする代わりに残業手当を出していないところが多かったのではないかと思います。

 

しかし、最近になって国立学校でもきちんと残業手当を払うことが当然となりつつあります。このため、国立学校ではかなり本気で働き方改革を進めることが必要となってきました。

 

では、どうするか。重要なことは、必要なことは基本的にすべて勤務時間の中に入れるようにするということです。そうしなければ、勤務時間からはみ出た分がすべて手当の対象となって、人件費が大変なことになります。とはいえ附属学校は教育実習指導もあり、毎日の業務を常に8:00-16:45の勤務時間におさめることは非現実的です。ですので、まずは労使協定で変形労働制を導入し、繁忙期は勤務時間を+1時間、余裕のある時期には勤務時間を-1時間とする措置をとります。その上で、次のようなことが必要となります。

 

・部活動は朝練なし、平日は週3回までで16:45まで。

・職員会議などの全員出席の会議は勤務時間内に終える。(そのために会議の準備をしっかり行う。)

・テスト問題の作成や採点などに時間が必要な時期には、そのために放課後に部活動や会議等を入れない日を設ける。

・少人数の定例の会議は、時間割を調整して、毎週の時間割の中に入れる。

 

他方、突発的な生徒指導等で時間外の対応が必要な場合には、必ず時間外手当を支給するようにします。

 

こうしたことをしながら、何が時間外にはみ出るのかを確認し、勤務時間内に入れる方法を考え、どうしてもはみ出る分については残業手当の対象とするしかありません。たとえば、中学校3年生の進路業務については、どうしても残業が多くなるのが現状です(高校入試に関する業務はそれだけ中学校教員の負担となっています)。

 

公立学校の状況を聞いていると、業務を基本的に勤務時間内に入れるという発想がそもそもないことを感じます。勤務時間外に朝練やら部活動やら会議やらが普通に入っているようですし、授業準備等に使える空き時間が全然足りない状況もあるようです。それでいて、実働時間を減らすという掛け声はかかっているので、多くの教員が持ち帰れる仕事は持ち帰って、見た目の実働時間を減らすということになっているのではないでしょうか。

 

教員の働き方改革について私が特に強調したいのは、次の3点です。

 

・同じ職種であるはずの学校教員について、公立には給特法があり、国立・私立にはないというのは異常です。法の下の平等に反するのではないでしょうか。

働き方改革を実質的に進めるには、学校設置者(教育委員会等)や校長が、必要なことはすべて勤務時間内に入れることを覚悟するしかないはずです。これまでの慣例にとらわれず、考え方を変える必要があります。

働き方改革に関する指標として、実働時間(在校時間)ばかりを見ると、持ち帰り仕事が増えるだけになる恐れがあります。教員の満足度等の他の指標に着目する必要があるはずです。

 

こうした点を踏まえて、対応を進めていただけることを切に願っています。

 

(追記)

1点書き忘れていました。いろいろと工夫しても、毎日6時間の授業を入れて、他の業務を勤務時間内に入れるのはかなり厳しいです。新年度当初の準備時間が短いという別の問題も踏まえ、学校の授業が現状で基本的に年間35週分であるのを33週分くらいに減らせるといいなと思います。4月の開始を4月10日くらいにして余裕をもって準備できるようにするとともに、午前授業の日を年間10日くらい増やして、教員が授業以外の業務に専念できる時間を捻出するのです。夏休みでいいではないかと思われるかもしれませんが、夏休みはまとまった会議や研修をする必要もありますし、有給休暇をとりやすくすることも必要なので(専任の教員に法的義務である年間5日の有給休暇をとってもらうのも大変です)、夏休みにできることは限られます。

企業教育研究会20周年で、なぜ「教育をアップデート」なのか

2023年度、私が理事長をつとめるNPO法人企業教育研究会は、20周年記念イベントとして、7回連続セッション「#日本の教育をアップデートする」を開催します。

 

ace-npo.org

 

企業教育研究会がNPO法人としてスタートしたのは、2003年3月。当時、私の研究室に所属していた学生たちが、企業と連携した授業づくりを進めるためには法人格が必要だと考えて組織を作ったことが始まりでした。千葉大学からはさまざまなスタートアップ企業が生まれていますが、企業教育研究会も千葉大発のスタートアップ企業の一つです。その後、文部科学省のキャリア教育事業を受託したり、さまざまな企業との連携で授業づくり・教材づくりを進めたりして、今では10名ほどの専従職員を雇用する法人となっています。

 

当時から私たちが掲げた目標が、「誰もが教育に貢献する社会」を作ることでした。この20年の間に、間違いなく企業による教育への貢献は進みましたし、企業教育研究会としても多くの学校に、学校が求めている教材やプログラムを届け続けてきました。その成果は、決して小さくないと考えています。

 

しかし、20周年に向けて、竹内正樹事務局長を中心に法人としてのあり方を議論する中で、私たちは、果たしてこのレベルで満足してよいのだろうかと自問自答しました。私たちは、たとえ学校にお金がなく教員に余裕がなくても学校が新しい取り組みをできるようにと、社会の変化に伴って必要と考えられる教材やプログラムを学校に届けてきたつもりです。でも、この20年の間に、学校をめぐる状況はどんどん厳しくなり、学校が柔軟に新しい内容の授業を取り入れることが難しくなってしまっています。私たちには、もっとやれることがあるのではないか。私たちは考えました。

 

2023年度、私たちは20周年企画として、産学官連携で、重要な教育課題について多くの方々と情報交換、意見交換をすることにしました。この連続企画が突破口となり、学校が、多様な人々の協力を得て、新しい取り組みを進めることができるように、学校を、社会を変えていきたい、と考えています。

 

連続企画の第一弾は、本日4月22日(土)14時から、千葉大学教育学部にて開催です。テーマは「#起業家教育」。2010年度から千葉市千葉大学では連携して「西千葉子ども起業塾」を開催しており、今では「ちばアントレプレナーシップ教育コンソーシアム Seedlings of Chiba」に多くの主体が集って起業家教育を進めています。そして、企業教育研究会は、アクセンチュア、Seedlings of Chibaなどと協力して、中学生向け起業入門プログラム「ひな社長の挑戦」を開発し、全国の学校等に教材の無料配布を始めています。

 

ace-npo.org

 

本日の企画第一弾では、千葉市の神谷俊一市長に特別スピーチをいただき、アクセンチュアの藤井篤之さん、文部科学省の加藤浩介さん、中小企業庁の宮本祐輔さん、千葉大学IMOの片桐大輔さんに、産官学それぞれのお立場から起業家教育の最先端のお話をうかがいます。そして、会場の皆様とともに、情報交換、意見交換を進めていきます。

 

起業家教育は、起業する人を増やすための教育というより、子どもたちがエージェンシーを発揮できるようにするための教育であると、私は考えています。「エージェンシーのダンス」という言葉がありますが、起業(擬似)体験の中で、子どもたちがエージェンシーを解放し、新しいことを進めようとする大人たちとともにダンスをすることで、エージェンシーが発揮される体感を獲得することが、私の考える起業家教育です。今日は、そんな話もできたらと思っています。

 

連続企画は4月から12月まで(8月・9月を除く)、毎月1回、産官学からさまざまな方々をお招きして実施する予定です。皆様とお目にかかり、議論できることを、楽しみにしています。

ChatGPTに教育行政は追いつけるのか?

ChatGPTなどの生成AIの性能が高く、ものすごい勢いで広がっています。

ChatGPTを使えば小学生の読書感想文などはもちろん、大学の授業のレポートなども容易に書けてしまうので、これまでの教育のやり方はそのまま通用しなくなります。文部科学省はChatGPT等について学校向けの指針を作ることを検討するとのことですが、検討と言っているうちに事態はどんどん進んでしまいそうです。教育行政が社会の変化にどう追いつくかはこれまでも課題だったと思いますが、教育行政のスピードアップはこれからはもっと頻繁に問われることとなりそうです。

 

www.yomiuri.co.jp

 

私はここ2ヶ月ほど、ChatGPTでいろいろと試しています。たとえば、「「親切、思いやり」をテーマにした、小学校4年生対象の道徳の授業1時間分の学習指導案を作ってください。」と入れると、瞬間で次のような学習指導案的なものが出力されます。(この記事中ではすべてGPT3.5を使用)

 

【授業の目標】 本授業を通して、生徒たちは「親切」と「思いやり」が何であるかを理解し、自分たちにできることを考え、行動できるようになることを目指す。

【授業の流れ】

  1. 挨拶・目的説明(5分)  教師が生徒たちに挨拶をし、本日の授業の目的について説明する。

  2. ワークシート「親切と思いやり」(20分)  教師が「親切」と「思いやり」についての定義を説明し、生徒たちはワークシートを用いて、自分たちが思い浮かべる「親切なこと」「思いやりのあること」を記入する。

  3. グループワーク「親切な行動を考えよう」(25分)  生徒たちはグループに分かれ、ワークシートで書いた内容を元に、自分たちができる「親切な行動」を考える。その後、グループ内で発表し、クラス全体で共有する。

  4. 総括(10分)  生徒たちが考えた「親切な行動」を振り返り、今後の実践につながるように、まとめを行う。

  5. 感想(5分)  生徒たちが授業について感じたことや、学んだことをまとめ、発表する。

【授業の詳細】

  1. 挨拶・目的説明(5分)  
    ・教師が挨拶をし、生徒たちに授業の目的を説明する。  
    ・「親切」と「思いやり」について、生徒たちがどのようなイメージを持っているか尋ねる。

  2. ワークシート「親切と思いやり」(20分)  
    ・教師が「親切」と「思いやり」について、それぞれの定義を説明する。  
    ・生徒たちは、ワークシートに書かれた質問に答え、自分たちが思い浮かべる「親切なこと」「思いやりのあること」を記入する。  
    ・時間が余った場合は、答え合わせを行う。

  3. グループワーク「親切な行動を考えよう」(25分)  
    ・生徒たちは、ワークシートで書いた内容を元に、グループに分かれて自分たちができる「親切な行動」を考える。

    ・グループ内で話し合い、アイデアを出し合う。教師はグループの進捗を見ながら、必要に応じてアドバイスを行う。  
    ・各グループが考えた「親切な行動」を、発表する時間を設け、クラス全体で共有する。  
    ・発表の際には、他のグループのアイデアに対して、感想や意見を述べることができるようにする。

    1. 総括(10分)  
      ・生徒たちは、今回のグループワークで出たアイデアを振り返り、まとめを行う。  
      ・教師は、生徒たちが考えた「親切な行動」をもとに、今後の実践につながるように、まとめのアドバイスを行う。

    2. 感想(5分)  
      ・生徒たちは、授業について感じたことや、学んだことをまとめ、発表する。  
      ・教師は、生徒たちの感想を聞きながら、今後の授業に生かすためのフィードバックを行う。

    【補足説明】

    ・ワークシートやグループワークで、生徒たちが自分たちで考えることを促す。
    ・発表の時間を設け、生徒たちがお互いのアイデアを聞くことができるようにする。
    ・感想の時間を設け、生徒たちが授業について自分なりの考えをまとめることを促す。
    ・教師は、生徒たちが考えたアイデアや感想をフィードバックし、今後の授業に生かすためのアドバイスを行う。

 

小学生なのに「生徒」とあることは気になりますし、何の教材も使わないのか等、気になる点はあります。ただ、チャットでやりとりすれば、(それなりの癖はあるのですが)修正なり追加なりはしてもらうことが可能です。

 

現状で、ChatGPTは、2019年くらいまでの知識で広く知られていることがらについては、それなりの回答を瞬時に提供してくれます。ポイントは、瞬時ということです。人間がそれなりに調べてそれなりに文章を作るとなれば、得意分野で専門家が質にこだわらずやっても30分とか1時間はかかることが、瞬時にできてしまうわけです。電卓とかワープロソフトとか表計算ソフトとか検索サイトが私たちの作業に要する時間を劇的に変えたように、あるいはこれら以上に、ChatGPTにはインパクトがあります。

 

このことは、私たちの価値の体系を大きく変えることを意味するだろうと思います。「調べてまとめて伝える」ということが、21世紀初頭までは人間の活動として大きな価値が認められていたと思いますし、学校教育でも重視されるようになりました。しかし、「調べてまとめて伝える」だけであれば、今後その価値は限りなくゼロに近づきます。「調べてまとめて伝える」ことの先に何があるのかを、問う必要があると思います。

 

では、その先には何があるのか。私は「オタク的体験」が重要と考えています。何かにマニアックに没入する体験が情報に還元できない個人の強みとなり、ChatGPTが得意な平均的な考え方とは違うその人固有の考え方につながるのだろうと思っています。

 

ちなみに、私はある時期数学オタクでいろいろな本を読み漁っていたので、そのオタク経験を活かして、附属中学校長時代に全校集会等でその日の日付の数字にまつわる数学的な話題を出したりしていました。先日3月31日が離任式だったので「31」あるいは「331」にまつわる面白い問題をChatGPTに作ってもらおうとして試行錯誤したのですが、全然ダメでした。そして自分で思いついた「31も331も3331もすべて素数ですが、3...31という形式の数はすべて素数でしょうか」という問題をChatGPTに出したのですが、全然解いてもらえませんでした。問題を解くことは今後もっとできるようになるかもしれませんが、気の利いた問題を作ることはおそらくそう簡単にはできないと思います。なぜならそんなこだわりをもって数学の問題を作ろうとする人が稀で、関連する情報が少ないからです。

 

さて、このように自分の考えをとりあえず書いてみるのですが、最近はここで不安になります。ChatGPTはどう回答するのだろうと気になってしまうのです。今回も、「ChatGPTが一般化して「調べてまとめて伝える」ことの価値は相対的に低くなり、教育においては「調べてまとめて伝える」ことを目標とするのでなくその先のことを目標とする必要があると思われます。「調べてまとめて伝える」ことの先の目標として教育が目指すべきことは何でしょうか。」と尋ねてみました。すると、「批判的思考力を養う」「クリエイティブ思考力を養う」「コミュニケーション能力を養う」が考えられるという回答が得られました。これが平均的な回答なのだとわかれば、ひと安心です。「オタク的体験」という私の考えは、平均的な回答とは違いますし、平均的な回答とある程度関連づけて深められそうだということがわかります。

 

ということで、ChatGPTをどうするかというような問題は、自分でオタク的にハマる体験をしてみて考えるべき問題なのだと思いますが、文部科学省はこうした問題にスピード感をもって対応せよというのは無理な話なのかなあと心配しています。

「ゴロ野球」の実践に学ぶ、参加としての特別支援

私の研究室の名称は、「授業実践開発研究室」。私は大学院生時代から「授業づくり」を主なテーマに研究をしており、2001年度、千葉大学大学院教育学研究科修士課程に授業づくりをテーマとした「カリキュラム開発専攻」が設置されたタイミングで千葉大学に採用され、そのときから研究室の看板は「授業実践開発」としています。全国でも珍しい看板ではないでしょうか。ちなみに、カリキュラム開発専攻はその後複数回の改組を経て、現在は「学校教育学専攻 横断型授業づくり系」として、教科・領域等の枠組みにとらわれない授業づくりを研究するコースとなっています。このようなコースも、珍しいと思います。

 

千葉大学教育学部では、2年生の終わりから学生が研究室に所属し、卒論研究に臨みます。我が研究室には各学年10名前後が所属しており、現在は2年生を迎えたばかりで、3年生を中心にゼミを行い、4年生は先日卒論を提出して2月5日(土)の卒論発表会で卒論の内容を発表します。それぞれ多様な研究テーマで研究を行っています。

 

▽藤川研究室 2022年度卒業論文等発表会

https://fujikawaken.peatix.com

 

個性あふれる3年生たちはそれぞれ魅力ある卒論テーマに取り組んでおり、ゼミで議論を重ねているわけですが、一人の学生が掲げたテーマが、障害のある子どもが取り組める野球的なスポーツでした。この学生はずっと野球をやっていて、パラスポーツというかアダプテッド・スポーツに関心をもち、野球はどうかということになったわけです。そして、この学生が見つけたのが「ゴロ野球」でした。次の論文があります。

 

和史朗(2011)重度障害者を対象としたアダプテッド・スポーツの試み-肢体不自由特別支援学校における野球指導を通して-、北翔大学北方圏生涯スポーツセンター年報、2、57-62

 

上記論文によると、ゴロ野球とは、「選手個々の心身機能・身体構造の状況に合わせた個人ルールが一人一人に適用されて行われる野球」です。まさに、一人一人に合わせたスポーツである「アダプテッド・スポーツ」です。論文を読めば一通りのことは書かれているのですが、どういうものなのかイメージするのは難しく、まして卒論研究につなげるとなると論文を読むだけではどうしようもないと、私たちは考えました。そして、和(にぎ)史朗先生に直接お話を聞けないものかと考えるに至りました。千葉大学規定の謝金と交通費は私の研究費でなんとかなるので、ダメで元々で学生から和先生に「ゼミにお越しいただいてお話をうかがえませんか」というお願いの連絡をしてもらいました。

 

幸い、学生からの突然の申し出を和先生は快くお受けくださり、去る1月17日(火)、私たちのゼミにお越しいただけることとなりました。和先生は現在、東北福祉大学にお勤めで、仙台から千葉までいらしていただけることとなったわけです。

 

かくして、ゼミ生(主に3年生)、委託研究生4名、研究室アドバイザー、大学院生といった人たちとともに、和先生のお話をうかがいました。和先生は、たくさんのスライドを見せてくださいながら、暖かい語り口で、和先生が養護学校教員や大学教員として取り組んでこられたことや、ICFモデル等の理論的背景、そしてゴロ野球の実際の様子等を楽しくわかりやすく話してくださいました。

 

お話のポイントは、ICFモデルなのだと思います。ICFというのはInternational Classification of Functioning, Disability and Health の略で、日本語では「国際生活機能分類」とされます。2001年にWHO総会で採択されたものです。従前のICIDH(国際障害分類)が障害があるためにできないことがあるという考え方につながるものだったのに対して、ICFは心身機能や身体構造を中立的に捉え、どうやったら活動に参加できるかを考えることにつながるものだと、理解しました(詳しくは上記論文参照)。

 

障害があっても活動に参加できるようにするというのは、一般論としてはよく聞かれるものと思われるかもしれません。でも、和先生の実践はとことん具体的です。身体障害がある子どもたちが「野球をやりたい」と願うのであれば、「障害があるからできない」などとはせず、とことんどうすれば野球ができるのかを和先生は考えるわけです。そうしてできたのが、ゴロ野球というわけです。

 

ゴロ野球という名称からすると、投手がボールをゴロで投げ、打者はそのゴロを打つと考えられるかもしれません。打者にとってはボールを打つ行為が三次元でなく二次元になるから打ちやすい、と考えたくなるでしょう。でも、ゴロ野球のルールでは、まずはともかく投手は一般の野球と同様に空中でボールを投げ、打者はどんなに身体が不自由でも空中でバットを使って打撃をしようとします。・・・ツー・ストライクまでは。

 

ツー・ストライク後は、打者によって、そのまま投げてもらう、ゴロを投げてもらう、ティーに乗せたボールを打つ(ゴルフ打ち)のいずれかになります。ツー・ストライクになるまでは打者は誰でも同じように空中で打ち、ツー・ストライクになったら一人一人に合わせた条件で打つわけです。

 

私はゲームのルールをどう変えるかということに関心があるのですが、このようなルールは目から鱗でした。途中まで同一の条件、途中から一人一人に合わせた条件というルールの作り方を、意識して考えたことはありませんでした。考えてみれば、途中までは同一の条件で挑戦ができ、その後は自分に合わせた条件で言ってみれば平等な参加ができるというのは、うまい方法だと思います。和先生によれば、子どもたちは上達したいので、ツー・ストライク後にゴルフ打ちしかできなかった子どもがゴロ打ちになったり空中で打ったりできるように練習したりするのだそうです。挑戦と参加の両方が保証されるこのルール、素敵です。

 

興味深いことに、このような打撃ルールがあることに対応して、投手にもゴロ専門のリリーフ投手という役割が発生します。映像で見せていただきましたが、四肢の麻痺が重く随意運動が極めて困難な選手が、車椅子からボールを落とし、自分の脚にボールを当てて正確にゴロを投げる技術を習得し、ツー・ストライク後にゴロ投球を求められた際にだけ登場するリリーフ投手として活躍していました。

 

もちろん打撃だけでなく、走塁や守備や投球についても一人一人に合わせたルールが設定されていて、全員が野球を全力でプレイすることが可能となっています(詳しいルールについては上記論文参照)。大会での試合の様子を動画で見せていただきましたが、上半身だけで豪速球を投げる投手、ホームランを量産する強打者から、繊細なゴロ専門投手、手が不自由ながら空中で打つことに挑戦する打者など、一人一人の個性が発揮され、1球ごとにドラマのある白熱した試合が展開されていました。

 

和先生のお話をうかがって、スポーツへの参加が人のQOLに大きく貢献することやルールの工夫で活動の質が高められることを実感しました。私たちが関わる学校の授業等の場においても、もっとルールを工夫し、一人一人が本気で参加できる状況を作れるのではないかと思います。

 

ゴロ野球は現在でも北海道で大会が行われているそうなのですが、これほど面白いものがほとんど知られていないことはもったいないと思います。大会の模様がネットで紹介されたり、ゴロ野球を題材にした漫画作品が生まれたりしたら、ゴロ野球の魅力が多くの人に伝わるのに…と思います。学生の研究もよいものとなり、来年の卒論発表会でしっかり発表してもらえるようにできたらと願っています。

 

 

私たちはデジタル・シティズンシップ教育をどのように論じるべきなのだろうか?

デジタル・シティズンシップ教育について調べていたら、坂本旬さんが私の文章を引用して議論してくださっていたことを知りました。

 

note.com

 

坂本さんのこの記事は2021年4月22日のものなので、1年半も経過していたことになります。気がつくのが遅く、申し訳ない限りです。

 

坂本さんは、当時出たばかりの私の著書『教師が知らない「子どものスマホSNS」新常識』(教育開発研究所、2021)での以下の議論を批判的に取り上げてくださっています。

 

「デジタル」だけを分ける意味はなくなりつつあるようにも思われます。現代の社会において、すでにデジタルとアナログ、あるいはネットとリアルを分けるという考え方がもう古いものとなりつつあるように思われます。
 この状況にあって私たちが目指すべきは、デジタル技術がさまざまな場所で使われている市民社会に参画するための規範としての、「(新たな)シティズンシップ」の育成であるべきです。(p.102)

 

坂本さんは、欧州評議会の議論(残念ながら現在はリンク切れのようです)を引用し、「つまり、デジタル・シティズンシップ教育は教育とシティズンシップのプロセスを切り離してはいけないのです」ています。

 

なるほど、欧州評議会がデジタル・シティズンシップを従来のシティズンシップと切り離さずに論じていることはわかります。ただ、私の知る限り、内外のデジタル・シティズンシップ(教育)に関する議論では、デジタル・シティズンシップはかなりデジタル技術を使いこなす話が中心であり、市民性をどう育てるかという話は前面には出てきません。

たとえば、坂本さんも引用されている米国ISTE関連のRibble,  M. の著書 "Digital Citizenship in Schools" (第3版、2015年)でも、デジタル・シティズンシップは、「誰もがデジタル世界で働き、プレイできるようになるために、テクノロジーのポジティブな面を強化する」概念として記されており、デジタル・シティズンシップの9つの要素も(版や論文によって微妙な違いはありますが)以下のようにデジタル技術に直接関わる項目ばかりです。

 

  • デジタル・アクセス(Digital Access
  • デジタル商取引(Digital Commerce)
  • デジタル・コミュニケーション(Digital Communication)
  • デジタル・リテラシー(Digital Literacy)
  • デジタル・エチケット(Digital Etiquette)
  • デジタル法(Digital Law)
  • デジタル権利・責任(Digital Rights and Responsibility)
  • デジタル健康・ウェルネス(Digital Health and Wellness)
  • デジタル・セキュリティ(Digital Security)

 

坂本さんほかによる著書『デジタル・シティズンシップ コンピュータ1人1台時代の善き使い手をめざす学び』(大月書店、2020)でも、副題からもわかるように、従来の「閉塞感」ある情報モラル教育とは違って、コンピュータの「善き使い手」を目指すことがデジタル・シティズンシップとして論じられています。

 

私は、坂本さんたちが批判されるような意味での情報モラル教育にも関わってきましたし、情報を積極的に活用する方向での教育にも関わってきました。だから、従来の情報モラル教育を一方的に否定する立場はとりませんが、坂本さんたちが描かれているようなコンピュータの「善き使い手」を目指す方向での教育を推進することには大賛成です。

 

ただし、私は、起業家教育や主権者教育にも関わってきた者として、コンピュータの「善き使い手」を目指す教育にとどまることをよしとする立場はとりません。たとえば、小学生が「会社」を作り、デジタル技術を積極的に活用しつつ、実際の企業と商談をし、契約をして、「仕事」をするプログラム。たとえば、中学生が問題意識をもち、自分たちでデジタル技術を活用して調査を行って役所等に行って政策提言を行い、その上でネットでの発信をしてアドボカシー活動を進めていく授業。こうしたものに関わりながら、子どもが子どもなりに社会と関わり、社会の担い手としての経験を重ねられるような教育のあり方を考えています。このような教育が多様に行われ、子どもが子どもなりに社会に参画でき、子どもの意見表明権等の権利が尊重されるようになることが、一つのゴールだと考えています。

 

私の著書で「デジタル・シティズンシップ教育の、その先へ」という見出しのもとで書いた文章は、こうした問題意識に基づいています。著書の中で書いた地域おこしの例などを見ていただければ、ご理解いただけるものと思います。

 

「デジタル・シティズンシップ(教育)」という言葉を、私たちはどのように使うべきなのでしょうか。実際に、コンピュータの「善き使い手」を目指す方向での教育という意味合いで使われていることが多いのですから、私としては基本的にそのような意味で使うことが妥当だと思います。ただし、本来のシティズンシップ教育と断絶させる必要はないと思いますので、必要があれば、「デジタル(もある)社会に、よく参加できるようにするための教育」くらいの意味で使うことが適当ではないでしょうか。そして、私がゴールとするような教育は、やはり「デジタル・シティズンシップ(教育)」とは違う言葉で呼び、これまで「デジタル・シティズンシップ(教育)」とされてきたものとは区別して議論した方がよいのかなと思います。

 

以上、私の考えを書かせていただきました。坂本さんには、私の議論を取り上げていただいたこと、そしてこのように考えを書くきっかけを作っていただいたことに、感謝いたします。

子どもの意見表明権とアドボカシー教育

千葉大学教育学部附属中学校では、大学と連携した授業がいろいろと行われています。その中で、ゼミ制で実施している全校の総合的な学習の時間の中に、大学院生の郡司日奈乃さんらが担当している「アドボカシー」ゼミがあります。「アドボカシー」とはもともと「擁護」とか「支援」という意味であり、支援を必要としている人のための政策実現活動と考えていただけるとよいと思います。アドボカシーゼミを選択したのは全校で3人だけですが、ここまで「起立性調節障害」に関わる問題について調査や提言作成の活動を精力的に進めてきました。

 

昨日9月14日は、総合的な学習の時間の各ゼミが1日全部使って学校外で活動ができる校外学習の日でした。アドボカシーゼミのメンバーたちは、午前中は千葉市議会、午後は文部科学省を訪問し、自分たちで作成した提言書を提出するとともに、文部科学省記者クラブで記者会見を行いました。千葉市議会では教育未来委員会所属の田畑直子議員と伊藤隆広議員が、文部科学省では伊藤孝江政務官が主に対応してくださり、それぞれ教育委員会事務局の方々や文部科学省の各担当の方々が陪席くださりました。記者会見も含めて生徒たちはかなり緊張している様子でしたが、皆様が生徒たちの話を真摯に聞いてくださり、生徒たちは自分の言葉でしっかりと考えを伝えていました。貴重な機会を与えてくださった皆様に感謝しております。

 

生徒たちの提言の内容は、以下に掲載されています。

 

www.change.org

 

また、昨日の文部科学省での記者会見等については、以下のメディアで報じられています。

 

共同通信
https://nordot.app/942714640207314944
(地方紙等のサイトにも同じ記事が掲載されています)

教育新聞
https://www.kyobun.co.jp/news/20220914_06/

日テレNEWS(動画あり)
https://news.ntv.co.jp/category/society/1b2143b14bcd481a90aadfef4da869ed
(系列局のサイトにも同じ記事が掲載されています)

東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/202213

 

起立性調節障害というテーマは郡司さんが提案したものですが、生徒たちは強い関心をもってくれました。起立性調節障害についての無理解が偏見につながり悩んでいる人がいるという事実に対して、生徒たちはなんとかしたいと考えたようです。他の病気を経験していることから、切実に感じられたという生徒もいました。私自身、起立性調節障害への無理解からいじめ被害に遭った人の事例などにも関わってきましたので、このテーマは重要と考えています。

 

中学生が意見を発表するというと、しっかりと原稿を用意して読み上げるということが多いのかもしれません。しかし、今回生徒たちは自分の言葉で語ることとし、相手を意識して原稿に頼らずに考えを伝えていました。提言の内容についても、大人が作ることはせず、生徒たちが多くの方に話を聞き、指導者は原稿を整える手伝いをするという程度でした。

 

大学生などと異なり中学生は活動できる時間が限られ、今回の場合には基本的に授業時間のみに限られます。ですので、誰かに話を聞きに行くということはなかなか難しいのですが、コロナ禍になって以降はZoom等を使用したオンラインミーティングが容易に実施できるようになったため、時間や場所の制約があまり問題とならなかったように思われます。その上で、昨日のように終日校外で活動できる日が設定されていることから、その日に合わせて活動を組むことで、かなり自由度が高くなることがあらためて感じられました。

 

こども基本法やこども家庭庁ができて、子どもの意見表明権が注目されています。子どもの意見表明権の保障には、単に意見表明の機会を作るだけでは不十分であり、子どもたちがさまざまな問題について学び、さまざまな人と対話をして、自らの意見を深める過程が不可欠です。この意味で、私が長年関わっているディベート教育や、今回のアドボカシーゼミなどのように、子どもが社会問題について議論しながら学ぶ取り組みがもっともっと広がる必要があると考えています。

 

私の研究室では昨年度、「多様化時代における主権者教育に関する研究」を主題に研究プロジェクトを進めました。報告書が以下に掲載されています。

 

https://ace-npo.org/fujikawa-lab/other.html

 

アドボカシーについて実践的に学ぶ等、従前の「主権者教育」の枠にとどまらない実践研究を今後も進めていきたいと考えています。