藤川大祐 授業づくりと教育研究のページ

藤川大祐のブログです。千葉大学教育学部教授(教育方法学、授業実践開発)。プロフィールは「このブログについて」をご覧ください。

Eテレ「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」を見て

 昨夜放送されたNHK Eテレ「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」を、半日遅れで録画視聴した。出演者は1970年代以降生まればかりで、1965年代生まれの私としては、「おじさんたちの朝生」から、なんだか飛ばされた世代になってしまったな、と感じつつ、面白かったし勉強になったし考えさせられることも多かったので、徒然に思うことを書き連ねようと思う。

 3時間の中で最も面白かったのは、「イノベーション」に関わる話だった。イノベーションが起こるには、現場で少数者のニーズに徹底的に応え、それをつなぎ、大きな意思決定もできるようにすることが必要で、現場のわずか2%の改善でもイノベーションになるという話は、願望も含めてなるほどと思う。飯田さんが言っていた「プロジェクトX」史観への警告(プロジェクトXみたいなドラマチックなイノベーションばかり待望するなという話と解釈した)も、私たちが以前、企業の方々との授業づくりにおいて頻繁に言われたことだった。決してわかりやすくない少しの問題解決の重要さは、なかなか感じられにくいことと思う。

 このことに関連して、フローレンスの駒崎さんの事例はやはり重要だ。病児保育という課題にきちんと向かうことで、確実にイノベーションが起きている。そういう課題は多いだろうと言われれば、多くの人がうなずくだろう。そして、こうしたことを確実に進めるために、事前規制でなく事後規制を、ということも重要な指摘だった。

 少し自分が関わっていることに置き換えて考えてみたい。総務省自治体、安心ネットづくり促進協議会等で青少年のネット利用に関する会議をやらせていただいているが、役所なり有識者なりが踏み込みすぎると、問題解決が遠のくことが感じられる。むしろ、情報を徹底的に共有し、民間事業者にそれぞれの立場での解決策を検討してもらい、それを持ち寄るという繰り返しでなければ、(たとえばスマートフォンにおける有害情報対策のような)問題の解決は難しいと感じている。具体的な問題の解決策は現場で見つけるしかない。

 ただ、このようなやり方は、現場で問題解決にあたる人々の能力に依拠していることも感じる。総務省等の会議でご一緒する企業の方々は、大変適切に、しかも迅速に、問題を解決している。それならなぜ問題が発生するのかと思われるかもしれないが、利用者の側で起きている問題自体を企業がリアルタイムで把握することは、やはり難しい。青少年のネット利用に関して言えば、青少年、保護者、学校関係者、警察等から情報を得なければ、問題の把握は困難で在る。また、問題解決にあたっても、他の企業の取り組み等を知らなければ、スムーズにはいかない。

 結局、現場の側にいる人の有能さと、現場からは見えにくい状況や知恵を共有できる場と、これら両方がなければ、問題解決は難しい。こうしたことを活かせない審議会が多いので、番組でも出ていたように、国などの審議会がうまく機能しないことが起きやすいのだろう。

 教育行政はどうか。言うまでもなく、これまでの教育行政は上記とは全く逆の状況であった。問題解決を現場に委ねるしくみはほとんどなく、トップダウンで学習指導要領をはじめとするさまざまなルールが決められ、現場におろされている。しかも、児童中心主義的な策と学力向上至上主義的な策とが、交互に極端に出されており、現場は翻弄されるばかりだ。

 もちろん、学校教育を支えるのは民間企業ではないため、問題解決を現場に委ねるといっても、民間企業に委ねるのと同様というわけにはいかない。学校は、民間企業とは異なり、利益で成果を見るわけにはいかない。学校間で競争をしたとしても、教育の質を直接問うことは困難であり、競争の結果が教育の質を上げるという保障はない。

 学校現場に問題解決のための能力が十分にあるかどうかについても、疑ってかかる必要がある。これまで現場に解決が委ねられることはあまりないために、いきなり内容が現場に丸投げされて混乱した「総合的な学習の時間」導入時の状況が繰り返される可能性がある。

 初等中等教育の専任教員は、全国で100万人弱もいる。この100万人の中には、日々の教育実践の中で高い問題解決能力をはかっている教員は多いであろう。だが、そうした問題解決能力を日本の学校教育の改善にうまくつなげるしくみがない。

 業界人口の100万人はあまりにも多すぎて、つなぐことも変えることも難しい。だが、ネットの時代である。意欲ある教員は、どんどんつながっている。ネットの中だけのつながりでなく、ネットでつながった人たちが「明日の教室」のような場を作り、リアルに顔を合わせてつながることもできている。たとえば、野中信行さんの学級経営論はネット+書籍+「明日の教室」等の講座で若い教師たちに着実に浸透しており、教室レベルのイノベーションは着実に進んでいるとも言える。今後、学級経営の重要さについての理解が広がり、大学レベルでの学級経営研究が進み、教職課程の中で学級経営が当然のように扱われるようになることだって、夢ではない。

 ただ、現状では、決定的に足りないことがある。教師が学校外の人とかかわることだ。この10年くらいで見ても、社会は大きく変わっている。学級経営ができ、授業ができても、大局的に子ども一人一人をどこに向かわせるかを、教師たちは自信をもって判断できなくなっているはずだ。多くの教師が、学校の外の状況に疎い。せいぜい、新聞やテレビの報道を通して、就職難、国際化、少子高齢化等の問題を受け止め、子どもたちに向かう程度のはずである。20世紀まではそれでも大きな間違いはなかったのかもしれないが、現状では指導を大きく誤る恐れがある。

 時代の変化、社会の変化に対応して、呼吸をして代謝をするように、学校は少しずつ変わっていく必要がある。決して一部を総取り替えするような極端な変化でなく、じわじわと変わっていく、ということだ。

 ともすると、教育行政は、毛穴をふさいで学校に呼吸をさせないように作用する。一度決めたことは何がなんでも守れ、というように。番組でも出ていた、「寛容さ」が重要である。教師の自主的な研修が奨励されるよう、細かいルールは教育委員会なり校長なりに委ね、現場の判断で対応できるようにすべきだ。たとえば、教師が勤務時間中にネットで自分の実践について発信したり、また外部の人と意見交換したりすることはもっと奨励されていい。あるいは、土日や長期休み中に、部活等の仕事を減らし、自由に動けるようにして、自主的な研修の機会を尊重してほしい。外部からゲストを呼ぶしくみの充実も重要だ。

 たぶん、遊び心も重要だ。研究会のあとの飲み会、なんていうのはけっこうあるが、企業オフィスの眺めのよい会議室でミーティングをしたり、おしゃれなカフェで二次会をしたり、ということもあってよい。教員の給料が高くできないのであれば、そうしたコストを地元の企業が負担するというのも、コストパフォーマンスのよい教育貢献ではないか。エンタテインメント産業等の施設での研修もいいだろう。教師向けのセンスのよいブログ講座、センスのよいファッションの話など、いろいろあってよいと思う。

 テレビに出ていた論客のみなさんたちは、ファッションもしゃべり方も、かっこよかった。でも、がんばっている教師たちの中には、おしゃれでかっこいい人たちが多くなっているのを感じる。教師のセンスがよくなるということだって、大切なイノベーションとなりうる。

 人口の1%は教師である。教師でない人のまわりには、探せばけっこう教師がいるはず(学校は全市町村にあるのだし)。多くの人が教師とつながって影響を与え合ってくれれば、それが学校の呼吸となり、イノベーションの素地をつくるように思う。

 先日、「明日の教室」(京都)で、番組にも出ていた瀧本哲史さんが講演をしたが、こんな感じで、70年代以降生まれの論客の方々が教師とどんどん関わってもらえるといいなあとも思った。

 番組の最後で松岡さんが、自分たちはつながることができると言って、「何がロスジェネだ」と言っていた。若い世代には、ソーシャルメディアがあり、つながるための壁は低いはず。60年代生まれの私は、同世代の人をFacebookで探しても見つからないことのほうが圧倒的に多いが、若い人たちmixiなりFacebookなりでつながるのはデフォルトのはず。ロスジェネと呼ばれた世代で、学校内外の人々が大いにつながり、学校教育にもイノベーションを起こしてほしいと思う。

 こんなふうに書くと我々の世代の出番がないみたいだが、教育業界は60年代生まれが中核にいて、元気がいい人も多い。「明日の教室」東京分校でも、我々の世代の人が多く講師で来てくれる。私だって、まだまだ老け込んだりはしませんよ。(笑)