名古屋市の中学生が自殺した件で、アンケート結果から20名の生徒がいじめの様子を見ていたことが明らかにされた。この件で私は昨夜のNHK「ニュースウォッチ9」の取材を受け、話をさせていただいたが、テレビ放送の宿命で発言の一部しか放送されていないので、あらためてこの件についてコメントを書いておきたい。
2013年のいじめ防止対策推進法以降も、いじめによると考えられる自殺事件が続発している。しかし、学校の事前事後の対応の様子は変わってきている。その経緯は、以下の通りである。
2013年 いじめ防止対策推進法施行、国のいじめ防止基本方針策定。学校がいじめ防止基本方針を定め、いじめ防止対策の組織を置くことが義務づけられる。
2014年 校長が調査をせずに「いじめはなかった」と発言する等、いじめ防止対策推進法に反する学校の対応が目立つ(山形県天童市の件など)。
2015年7月 岩手県矢巾町の事件で、いじめ防止基本方針で定められているアンケート調査等の策を学校がとっていないことが問題に。
昨年までは、いじめ防止対策推進法に反する対応が目立っていたにもかかわらず、報道でそのことが大きく問題になることはなかった。しかし、今年夏の岩手県矢巾町の事件では、いじめ防止対策推進法にのっとった対策が適切にとられていないことが大きく取り上げられ、ようやく法にのっとった対策を行うべきことが当然と考えられるようになった。そして、今回の名古屋市の事件では、学校が定期的にアンケートを調査を行うなど、法にもとづいて学校が計画的、組織的ないじめ防止対策を行っていたことが明らかになっている。報道も、学校や教育委員会に批判的にならざるをえなかった。
これまでは、法にのっとっていじめ防止対策を進めるということを確認せざるをえなかった。だが、今回は法にのっとった対策を進めても事件が起きてしまい、これまでとは違うレベルで考えなければならなくなっている。
今回の事件でようやく、いじめ防止対策推進法にのっとったいじめ防止対策のあり方が具体的にどうあるべきかが問われたと言える。今回の事件で今言えることは、20名の生徒がいじめを見ていたのに、大人はいじめに気づけなかったところに課題があるということである。
これまでのいじめについての議論は、いじめが起きたかどうかを確認してから、そのいじめに対応するというものになりがちであった。しかし、それでは対策は後手にまわってしまう。当事者は、いじめをいじめだとはなかなか認めない。暴言、からかい、暴力、差別的な態度等、いじめかどうかは判然としなくてもいじめにつながる可能性がある事態が生じていたら、それを見た人は何かしなくてはならないのである。
しかし、子どもたちは放っておいたら大人に何も言ってくれない。何かあったときに念のために誰かに言えるようにすることを促すような指導が、日常から必要である。
私は千葉県市川市のいじめ防止対策に関わっており、いじめかどうかが判然としない状況に敏感になることを目指した教材を開発、提供している。アンケートだけでなく、こうした取り組みを教育課程に位置づけ、実施していくことが必要である。