藤川大祐 授業づくりと教育研究のページ

藤川大祐のブログです。千葉大学教育学部教授(教育方法学、授業実践開発)。プロフィールは「このブログについて」をご覧ください。

大津のいじめ事件に関して

 大津のいじめ事件に関して、昨夜から多くの取材を受けました。本日の東京新聞中日新聞の記事にコメントが掲載され、今夜20時からのJ-WAVEの番組にも出演させていただきました。そして、今夜24時からのNHK総合テレビNEWS WEB 24」にも出演させていただくことになり、今、渋谷のNHKに向かっています。

 私自身の考えを整理するためということもあり、先ほどFacebookに以下の文章を書きました。ブログにも転載しておきます。教育の研究者として何ができるのか、しっかりと考えて放送に臨みたいと思っています。

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人の命が大切だ、と言葉で言うのは簡単です。しかし、すでに一人の中学生が命を奪われている今、何をどうすることが人の命を大切にすることになるのかが、私を含めたさまざまな人たちに問われていると考えねばなりません。

何が起きていたのか、命が奪われる前にできることはなかったのか、あったとすればなぜそれができなかったのかといったことを、徹底的に考え、話し合うことしか、たぶん私たちにはできないでしょう。しかし、つい数日前まで、こうしたことすら、私たちはできていなかったわけです。

過去のいじめの事例は、本来は重要な教訓となっているはずでした。「あそび」「いじり」のように見えても、深刻ないじめとなっている場合があります。小さく見える差別を教師が否定しなかったことで、教師がいじめを認めたことになり、いじめが深刻化することがあります。「いじめられる側も悪い」などと言って、発達障害をはじめとするコミュニケーションが苦手な子どもを追い詰めてしまうことがあります。明らかな犯罪行為があるのに、学校が警察との協力を拒み、問題が深刻化することがあります。こうしたことはおそらく教育関係者には常識であるはずです。なのになぜ、こうしたことが教訓として活かされなかったのか。

被害生徒が亡くなってしまった後のことについても、過去の事例は教訓となっているはずでした。責任逃れや隠蔽をすれば、被害者遺族や一般の人々、そして生徒たちの信頼を失い、学校は非常に厳しい状態になります。在学生が亡くなるという事態に遭遇した生徒たちには、カウンセラーなどによる緊急のケアが不可欠だったはずです。教師が生徒たちに箝口令をしいたりすれば、生徒たちは教師を信頼できなくなります。

いじめが進んでしまうことを止められなかった何かがあったのか、生徒が死亡したあとで関係者の間に不信を生じさせた何かがあったのか、事実の解明より隠蔽や責任逃れを優先させてしまう何かがあったのか、過去の事件を教訓として活かせない何かがあったのか。それぞれ、何か特別な事情があったと考えないと、解釈ができません。二度とこのようなことが起きないよう、このような悲惨な状況につながった要因を明らかにしていかなければなりません。

微力ながら、いや、亡くなった生徒さんに対しては全くの無力ですが、私は私にできることをやらせてもらいます。