藤川大祐 授業づくりと教育研究のページ

藤川大祐のブログです。千葉大学教育学部教授(教育方法学、授業実践開発)。プロフィールは「このブログについて」をご覧ください。

流山市教育委員会は資料を確認せずに嘘をつく

10月21日に流山市教育委員会の法令違反かつ不適切ないじめ問題対応に関して記者発表をしたところ、多くのメディアで報じられ、多くの方からご連絡をいただいています。

30年前に流山の小学校で教員からの虐待被害を受けていた宇樹義子さんは、この問題を受けて、ブログに「流山市教委いじめ不適切対応問題を受けて ―30年前に流山市の小学生だった者より」という記事を書いてくださいました。宇樹さんは、


「空気」が、「皆と同じであれ、集団の同質性を守れ、異なった者を排除しろ」と言えば、彼らはそうする。
「空気」が、「快活であれ、いつも強くあれ、弱音は吐くな」と言えば、彼らはそうする。
「空気」が、「優れた者/まともな者以外は痛めつけろ、殺せ」と言えば、彼らはそうする。
「空気」が、「常に世の中の役に立つものであれ、世の中に『迷惑』をかける者は死すべし」と言えば、彼らはそうする。
「空気」が、「目上の者にたてつくな」と言えば、彼らはそうする。

と書かれています。流山市教育委員会や同様の対応をとる学校、教育委員会にもあてはまる鋭い指摘だと思います。「空気」が人を傷つけ、場合によっては殺してしまうのです。熱心な教師にこそ、こうしたリスクがあります。

他にも多くの方から、流山市教委や市立の学校において、いじめ、体罰等の被害を受け、まともに対応してもらえなかったという声をうかがっています。流山市教委は、今回指摘した案件だけでなく、過去の案件を洗い出し、そのすべての被害者に対して謝罪、名誉回復、支援等を行うべきではないでしょうか。

 

各報道機関に流山市教委からのコメントが掲載されていますが、さすがにきちんと指摘しなければならないと思いますので、指摘させていただきます。流山市教委は流山市いじめ対策調査会に対して、いつ調査を委託したのかという問題についてです。

教育新聞の記事では、市教委のコメントが「いじめの重大事態を報告した17年3月の臨時会で調査を依頼したつもりでいた。調査会の委員と市教委の間に誤解があった」と掲載されています。教育新聞が間違っていないとしたら、このコメントはあまりにもひどいです。というのは、2017年3月に調査会の臨時会は開催されていないからです。

当時の経緯はこうです。

3月8日 調査会定例会開催。深刻な案件が発生しているという第一報の説明はあった。(実はこの頃、市教委が重大事態認定をする根拠となった自殺企図があった。)
3月30日 市教委が重大事態認定。
4月28日 調査会臨時会開催。

3月中に臨時会は開催されておらず、3月に臨時会があったというのは明らかな誤りです。たしかに3月8日に本件について説明はありましたが、これはまだ第一報であり、市教委が重大事態認定するのはこの日から22日も後。3月8日の定例会で重大事態認定がなされたはずはありません。

昨日のTBSの「グッとラック!」で紹介された市教委のコメントでは、4月に調査会に委託したつもりだったとなっていました。これならまだ話はわかります。4月28日の臨時会のことを言いたいのだろうと思います。

たしかに、4月28日は本件への対応について審議がなされています。ただ、重大事態の調査の依頼はありませんでした。

このことについては、証拠があります。7月12日に、「平成29年度 いじめ対策調査会への報告会①」という会合が開かれていて、市教委作成の議事録があります。これは、本来調査会の臨時会を開催すべきだったのが、日程調整がうまくいかず、若干名の調査会委員がバラバラに集められていじめ事案への対応状況について報告を受けた会合です。この①には私も出席しています。この議事録には、重大事態としての調査をどう進めていくかに関する議論が書かれており、私からは市の条例に沿って調査を行う必要があること、そして調査会に調査が委託されれば最優先で行うつもりがあることを述べています。市教委から、早急に動いていきたいという言葉があって会合が終わっています。こうした経緯があって、8月2日開催の臨時調査会において、市教委から調査会に調査が委託されることになるのです。

この7月12日の会合の議事録は、市教委が作成したものです。こうした文書で経緯を確認すれば、4月の段階で調査委の依頼をしていたなどという説明はできないはずです。そもそも、市教委が内容を確認した上で提出した中間報告書でも、市教委が調査会に調査を委託したのは平成29年8月2日と明記してあります。中間報告書に関して事実の間違いはないと市教委は言っていたのであり、今になって3月あるいは4月に委託したつもりだったと言うのはあまりにもひどいと言わざるをえません。

 

なぜこうなるのか。昨日の記事では市教委が法令を見ないということを指摘しましたが、見ないのは法令だけでなく記録も見ないのです。市教委の担当者としては、報道機関に対してできる限りの説明をしているのであり、そこに嘘をつく意図はないと思います。しかし、記録を見ずに、当時の担当者の聴き取りだけをもとに回答していると思われます。当時の担当者の思いとしては、4月に依頼したつもりだったということなのかもしれません。しかし、記録を見れば、市教委としてその説明には無理があることが明白です。記録を見ないで担当者の言い分をそのまま発表しているので、結果的に嘘が生じるのです。

市教委がこのように担当者の思いだけをもとに説明し、結果的に嘘をつくことは、私たちが行った調査の過程でも見られました。事実関係が不明な点について市教委に質問して回答を得ることがしばしばありましたが、どうも他の要素と整合しない回答が多くありました。そうしたことがあると、あらためて根拠となる資料を出してもらい、資料との不整合があるとそれをまた確認するというような作業を行わなければならなくなっていました。当初は、市教委の回答に嘘が含まれることなど想定していなかったので、こうした作業が想定外に増え、調査の負担が増大しました。

市教委のこうした状況は、いじめや体罰の被害者への対応にもきっと表れていたはずです。被害者側の方々から、市教委に嘘をつかれたという声を多く聞いています。資料を確認せず、担当者の思いだけで説明するので、市教委や学校の対応が合理化されやすく、被害者側ではひどい嘘をつかれたと受け止めるしかなくなるのだと考えられます。

 

今回の記者発表をするにあたって、私は約1ヶ月前に、市教委の指導課長に会見内容をすべてお知らせし、何かあれば指摘してほしいとお願いしていました。指導課長からは、「こちらの認識とは異なる点がございます」という回答があったので、具体的に教えてほしいとお願いしました。ところが、指導課長からは「こちらの資料および担当者からの聞き取りから当方としては、認識が異なるとお伝えいたしました。どこが、どのようにという点に関しては、このメールで議論する意思はありません。」という驚くべき回答が返ってきたのです。結果を見ると、認識が異なる点というのは、調査会に調査を委託した時期だったのでしょうが、市教委ではどの資料をもとに3月あるいは4月に委託したと判断したのでしょうか。「議論する意思はありません」などとおっしゃらずにどのような資料をもとにどのような認識をおもちなのか言っていただければ、私からも7月12日の議事録などに触れ、認識を合わせることができたはずであり、残念です。

しかし、この指導課長のメールの文面は、市教委のいじめ問題等についてのコミュニケーションのあり方を象徴的に示すものとして貴重です。何か指摘されても「認識が違う」として具体的な説明を拒否し、資料も確認せず担当者の思いだけの「認識」をただ守ろうとしている状況がよくわかります。被害者側や報道機関は、市教委のコミュニケーションがこのようなスタイルであることを理解した上で、市教委とコミュニケーションをとる必要があります。市教委は資料を確認せずに嘘をつくのです。