藤川大祐 授業づくりと教育研究のページ

藤川大祐のブログです。千葉大学教育学部教授(教育方法学、授業実践開発)。プロフィールは「このブログについて」をご覧ください。

東日本大震災から11年経って思うこと

東日本大震災の発生から11年が経ちました。あらためて私なりの視点で当時のことを、当時のブログ記事をたどりながら振り返ってみたいと思います。

 

震災発生直後に私がしていたことは、首都圏にいながら何ができるかを探ることしかありませんでした。まずは、直接被害がなかった学校で考えてほしいことを書き、発信しました。

 

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また、テレビ報道について、悲惨な映像を控えること、通常編成に戻すこと、無責任なバッシングをしないこと等の提言を発信しました。

 

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学生のお父様が福島県田村市で働いておられるということで、学生たちとともに田村市を「情報」で支援できないかと考え、微力ながら活動を始めました。この年の5月には実際に田村市にお邪魔して現地でお話をうかがうこともさせていただきました。

 

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この年の5月には札幌で開かれたCIEC第90回研究会にて、「震災とメディアの活用〜リテラシーと情報支援を中心に〜」というテーマで話をさせていただきました。

 

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また、9月には、首都大学東京で開催された日本教育工学会の全国大会で、「東日本大震災以降の情報支援とメディアリテラシー」というテーマで発表をさせていただきました。

 

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当時のブログを読むと、2011年4月には新年度が始まってしまい、6月くらいからは、千葉授業づくり研究会、「明日の教室」東京分校、メディアリテラシー教育研究会、関西授業づくり研究会、千葉大附属中での選択教科の授業、ディベート甲子園、西千葉子ども起業塾麻布高校での特別授業、大学院の「教科教育科学特論I/II」の授業等があり、被災地支援等の活動はあまりできていないことがわかります。この頃、私は大学で今のような役職に就いておらず、学生たちとともに教育実践に関わる活動をいろいろと進めていたときでした。今思うと、東日本大震災があっても、すぐに日常に戻ってしまったのだなと感じています。

 

このように何もできなかったという思いはずっと残っています。その後、2012年度からは、大学で担当している「ディベート教育論」の授業において、原子力発電環境機構にご協力いただいて、高レベル放射性廃棄物の処分問題を論題で取り上げるようにしました。福島第一原子力発電所の事故をふまえ、教職を学ぶ学生たちが放射能に関して多面的に学ぶ機会を確保したいと考え、現在も続けています。続けてきたことと言えば、これくらいかなと思います。

 

なお、AKB48ファンである私にとっては、AKB48の被災地支援の活動からは学ぶことが多くありました。AKB48との縁が強い岩手県山田町に何度か訪れて取材をさせてもらったりして、編集長をしていた『授業づくりネットワーク』で取り上げたりもしました。この頃、現地の方から聞いた話では考えさせられることが多くありました。最近、復興道路が全通したり鉄道も復旧したりして、山田町への交通が便利になったようですし、また訪れてみたいです。

 

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今、私たちは2年以上コロナ禍の影響を受け、できなかった活動もたくさんあります。このコロナ禍と比べるのもおかしいのかもしれませんが、東日本大震災はもっと長い間、被災地の方々に大きすぎる影響を与えてきたのに、首都圏にいる私たちはそうした時間をあまり共有できていなかったのだということを考えさせられています。